女川から大槌町
<道の駅よつくら港>が終わって、道の駅で豪華な海鮮丼のお昼を頂いてから、このまま仙台に走ると言う。
福岡から岩手に飛行機がなく、毎年この時期仙台空港で降りたり乗ったりはしている私は、仙台の街は初めてです。
福岡よりもたくさんのビルが並び、あの頃ニュースで見た仙台駅や仙台空港の映像は嘘のように、
街は地震の被害は全く見えない。
今回の旅は、交通費と宿泊は私と理沙の分はクマに甘えていいってです^^
クマのお母さんが昨年亡くなって、母さんが残してくれたお金を今回は使いたいと言ってくれてね。
私も出来たら被災地を回りたかったし、とっても助かりました^^
で、3人仲良く回ってるとクマは好きなA○Bの話に夢中になる。
私はだんだん気分が悪くなって口を利かなくなる(笑)
翌日は女川です。
受け入れ状態がその日になってみないとわからないと言う話なので、
私達は石巻を通って女川に向かった。
立ち並ぶ仮設住宅の中に、仮設の市役所があり担当から「まだ受け入れ状態が出来てない」との話だった。
挨拶を済ませ、女川を離れた。
車のナビのニュースで、地震からちょうど7ヵ月目の今日すべての避難所を閉鎖して全員仮設に移ると話している。
地震のあった時刻14:49分になり、町にサイレンが鳴った。
私達は車を止めて黙とうをした。
女川で歌えるか分らなかったので 今夜は宿を決めてなくて、野宿なんだって~(><)
私は、実は逢いたい人がいてね、猊鼻渓の修ちゃんです。
電話をしたら、今日はお休みだったけどすぐに修ちゃんから電話がかかる。
「ちょっと待ってな、宿聞いてやっから」って事で、
懐かしい<ひがしやま観光ホテル>に泊まれるようになった。
それが、部屋をお布団がひとつやっとひけるくらいの間仕切りをした、作業員の為のタコ部屋だった。
でもね、3人で「それでもお布団で寝れてよかったねー」って喜ぶ。
夕食には修ちゃんが来てくれて、久し振りに話し込んだ。
いつかの夜「俺はここでお客さんが喜んでくれるように頑張っから、
純子ちゃんは旅をしてみんなに歌を届けてくれ」って酔って言った修ちゃんの言葉を思い出した。
初めての岩手の前に「岩手に来たら俺の船に乗って下さい、おさむ」ってメールをくれた修ちゃんです。
修ちゃんが持って来た<いいちこ>の五合瓶を空けてしまってから修ちゃんは自転車で帰って行った。
「明日の朝は一番に船を出すから、大槌に間に合うように船を出すから、乗ってってくれ」って言い残して。
翌朝、8時半特別に船を出してくれた。
久し振りに修ちゃんの船です^^
長閑な自然に囲まれての猊鼻渓川下りは、疲れた身体を優しく包みこんだ。
そうしてゆっくりした休息の時間もつかの間、
船を降りて、車に乗り換えて私達は大槌に出発です^^
陸前高田、釜石を通って大槌町<まごころの郷>です。
途中、道路の回りは地盤沈下して海水が溜まった場所が続く。
何もかも流されてしまっていてね、震災前の姿を知らない私達には、想像も出来ない。
まごころの郷は、仮設に挟まれた小さな広場。
お年寄りがたくさんで、私と理沙の歌を一生懸命聴いてくれていた。
今夜の宿は、宮古から30分程離れた陸中宮古休暇村です。
広い駐車場には様々な県外ナンバーのパトカーが並んでいる。
皆さん、お疲れ様です。
お風呂に浸かって、ゆっくりと宿の夕食を食べながら、今夜はクマの大好きな啓介さんの話になった、
「機材をセットして、ギターをチューニングして、
僕は啓介さんがステージに立っていつでもすぐに演奏できるようにしている」と話す。
「ちょっと待って!なんで本人が自分のギターのチューニングをしないの?」って私が反論を始める。
こうして私達は毎晩のように、気まずくなってしまってねぇ~(><)
私もいい大人なんだから、聞き流してりゃいいのにね(笑)
当初の二人旅だったら大変な事になってたねー、理沙がいてくれて本当によかったのよ^^
てな、感じの。。。
私達の旅は、明日の宮古で最終です。